中ノ島(その1)
大阪の歴史的建造物を巡る
【阪急 梅田駅】→露天神→水晶橋→中之島中央公会堂→石原ビルディング→淀屋橋→淀屋 屋敷跡→日本銀行大阪支店→住友ビルディング→大阪俱楽部→愛珠幼稚園(銅座跡)→(その2)
2013年09月28日 晴れ 21,008歩
お初天神
露天神社
西鳥居
ここ露天神社の境内で、元禄16年(1703年)に起こった遊女“お初”と手代“徳兵衛”の心中事件を題材にして、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曾根崎心中」に劇化した。〔大阪市北区曽根崎〕
拝殿
境内末社 水天宮・金毘羅宮
水天宮・金毘羅宮 扁額
難波(夕日)神明社
お初・徳兵衛 像
お初・徳兵衛 像
曾根崎心中 お初・徳兵衛 ゆかりの地碑
お初・徳兵衛 石像
撫牛
お初・徳兵衛に因んだ絵馬の数々
南鳥居
水晶橋
堂島川(旧淀川)に架かる歩行者専用橋で昭和4年(1929年)の竣工。
歩行者専用橋のため花が植えられている。
親柱
旧 中之島公会堂
(大阪市中央公会堂 重文)
かつて「中之島公会堂」と呼ばれた大阪市中央公会堂は株式仲買人であった岩本栄之助の寄付によって建てられた。
き
正面の屋根の上には大阪の公会堂らしく学問と芸術の神 ミネルヴァ(女神)と商業の神 メルクリウス(マーキュリー)の像が置かれている。
ミネルヴァ(右)とメルクリウス(左)
何れもローマ神話に出てくる神であるがよく見ると銅像の顔は日本人である。
土佐堀川に架かる「栴檀木橋」と公会堂
土佐堀川
土佐堀川に架かる「淀屋橋」
石原ビルディング
(旧 淀屋橋中央ビルディング)
京阪 淀屋橋駅の看板が架かるビルとして知られ、昭和14年(1939)に石原時計店によって建築。 石原時計店は弘化3年(1846年)に初代石原萬助が心斎橋筋に「石原時計司」を創業したのが始めとされる。 御堂筋に建つ
このビルは三代目の石原政造によって「淀屋橋中央ビルディング」として建設、昭和29年(1954年)に「石原ビルディング」と改称された。
京阪 淀屋橋駅の看板が架かる
石原ビルディング入口
淀屋橋(重文)
土佐堀川に架かる橋で、上を国道25号線(御堂筋)が通る。 橋の名称は江戸時代に豪商・淀屋によって架けられたことによる。 コンクリート橋としては珍しく重文に指定されている。
親柱
淀屋 屋敷跡碑
淀屋橋の南詰めを西に少し行った所にある。 豪商 淀屋の屋敷はこの辺りから北浜にかけての百間四方の広さで、往時にしては貴重なガラスを多用した豪奢なものであったと言われる。
往時の米市場の様子が描かれている
日本銀行大阪支店旧館
明治36年(1903年)に建設されたネオバロック様式の建物で、設計は大阪中央公会堂・浜寺公園駅・日本銀行本店等を手掛けた辰野金吾。
南側 側面
旧 住友ビルディング
(現 三井住友銀行 大阪本店営業部)
昭和5年(1930年)の建築、設計:住友工作部・施工:大林組。 当初は住友財閥の経営統括本部ビルとして建てられたが、戦後の一時期には連合国軍総司令部(GHQ)が使用した。 現在は外観を変えずに耐震改修工事を実施中とのこと。 改修工事に際し建替えの話も出たが歴史的価値のある建物保存の重要性を考慮したとされる。
正面玄関
西側 側面
大阪倶楽部
大正13年」(1924年)の竣工、社交倶楽部「大阪俱楽部」の会員制会館として使用され現在に至っている。 しかし、昭和20年(1945年)の大阪空襲後には帝国海軍に徴用、また戦後には連合国軍総司令部(GHQ)に一時期接収された。 設計:安井武雄・施工:大林組。
会館正面
会館入口
館内ホールから外を撮影
トーテムポール
トーテムポール
玄関ホール
玄関ホール
エレベータ
エレベータの階数標示
愛珠幼稚園々舎(重文)・銅座跡
道修小学校連合町会によって明治13年(1880年)に開設された大阪府下では最も古い幼稚園、現役では日本一古い幼稚園と言われる。 現存する園舎は明治33年(1900年)に建設された三代目である。 近代的な高層ビル群に囲まれ、ここだけは明治の時代にタイムスリップしているかのようである。
また、この地は江戸時代に銅の取引や鋳造を行った銅座が在った所で、幼稚園の正門前には「銅座跡」の碑が建てられている。
「大阪市立 愛珠(あいしゅ)幼稚園」正門と「銅座の跡」碑
後半は中ノ島(その2)に続く