八幡

木津川「流れ橋」が流れる

【阪急 大山崎駅】→ 桂川・宇治川・木津川を渡る →流れ橋→【浜上津屋バス停】===【京阪 八幡バス停】→神応寺→五輪塔→杉山谷不動→【京阪 八幡駅】

2013年09月21日 快晴 27,340歩


先月の8月27日に八幡の街を訪ねた時には、木津川の「流れ橋」も渡ったが、9月16日(5日前)の台風18号による木津川の増水で、「流れ橋」が流されたとのこと。



鵜殿の葦原(うどののよしはら)

今日は、阪急 大山崎駅で下車し桂川・宇治川・木津川が合流し淀川となる辺りで、桂川・宇治川・木津川の各橋を渡り対岸の八幡市に入り「流れ橋」に向かう。


大山崎駅からすぐ東側を流れる淀川の右岸に出ると、そこには一面に葦が茂る「鵜殿の葦原」である。 先の豪雨の影響か河川敷一帯が赤土に覆われているようである。
:鵜殿から上牧に到る、淀川右岸の河川敷一帯に広がる葦(ヨシ/アシ)の群落。


河川敷の遊歩道の周辺は赤土に覆われ、乾燥により表面がひび割れている





桂川を渡る

桂川 天王山大橋
右は国道478号線、高架は京滋バイパス



桂川の水は豪雨の影響で、まだかなり濁っている



宇治川を渡る

淀川(宇治川) 御幸橋
京都府道13号線



上流側に架かる京滋バイパスの橋梁



木津川を渡る

木津川 御幸橋
京都府道13号線



上流側に架かる京阪本線の鉄橋をよく見ると橋脚には「流れ橋」の橋桁が引っ掛かっているようである。 「流れ橋」はここから上流に5km余りの所にあり、ここまで流されてきたようである。


橋脚に引っ掛かる「流れ橋」の橋桁(右)


木津川 御幸橋 南詰



木津川の土手に咲く彼岸花




橋脚に引っ掛かる橋桁

「流れ橋」の橋桁は10基ほどワイヤーで繋がれて1組となっているが、ここには1組が繋がったまま流れてきているようである。 「流れ橋」は、ここから4.5kmほど上流にある。














木津川の左岸を行く




木津川の土手に咲く花







木津川 流れ橋(上津屋橋)

遠くに「流れ橋」が見えてきた
左:久御山町側、 右:八幡市側
木津川に架かる長さ356.5m、幅3.3mの木造の橋で日本一の長さとのこと、正式名称を「上津屋橋」と言う。 73基ある橋脚に載せられた橋桁は10基づつほどワイヤーで繋がれており、大雨で木津川の水位が上昇した際には橋桁が筏のように浮かんで流れる構造になっている、このため橋に大きな力がかからず橋脚の損傷も少なくてすむとのこと。 また橋桁が流れてもワイヤーで繋がれているため流失はなく、復旧も早く出来る。 
先月の8月27日に八幡の街を訪ねた時には、木津川の「流れ橋」も渡ったが、9月16日(5日前)の台風18号による木津川の増水で、「流れ橋」が流されたとのこと。


「流れ橋」久御山町側


「流れ橋」八幡市側
八幡市側は枯枝・枯草などが多く引っ掛かっている。



八幡市側から久御山町側を見る
橋は昭和28年(1953年)に架橋され、20回ほど流されており、最近では昨年の10月に流され、今年の4月に復旧したばかりであった。






流れ出た橋桁はワイヤーにより繋ぎ止められている





残された橋脚


橋脚の上流側には枯枝・枯草などが引っ掛かっている








流れ出た橋桁





流れ橋 (被災前の 8月27日撮影)















京阪バスにて【浜上津屋バス停】
から【京阪 八幡バス停】に移動




神応寺(じんのうじ)
 
山門
石清水八幡宮の参道大鳥居の脇の石段を登った所にある。 貞観2年(860年)石清水八幡宮を創建した行教律師によって開創された古刹で、本尊は薬師三尊。 明治の神仏分離令が出されるまでは石清水八幡宮の神宮寺であった。 豊臣秀吉が朝鮮出兵に当たり石清水八幡宮に戦勝祈願をした際に神応寺に宿泊したと言われる。〔京都府八幡市八幡西高坊〕



参道石段


境内 本堂


本堂 扁額


境内に咲く白い彼岸花


聖徳太子像・聖観音像が安置されている


鐘楼



五輪塔(航海紀念大石塔)
 
神応寺山門脇に建てられており、高さ6mの五輪塔で日本最大のものとのこと。 摂津の豪商が石清水八幡宮への海難防止祈願のお礼として建てたものとされる。(鎌倉時代 重文)





男山ケーブルの下をくぐる

神応寺から更に奥に登った所にある奥の院「杉山谷不動」に向かう。 途中、男山ケーブルの軌道の下をくぐる。





ケーブルカーが通過する



杉山谷不動
(大聖不動明王)


参道入口鳥居


昼でも薄暗い参道を行く


大聖不動明王堂


十一面観音堂


不動明王石仏




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