関宿(その1)

古い町並

【JR関駅】→木崎の町並→東の追分→関神社→延命寺→中町の町並→瑞光寺→浄安寺→(その2)

2013年09月06日 晴れ 20,155歩



JR関西本線 関駅




気動車「キハ120」 (関駅にて)



関宿
三重県亀山市のJR関西本線 関駅の北300m程の所に東西に1.8kmにわたって延びる町並で、東海道五十三次の四十七番目の宿場町として栄えた。 ここは壬申の乱の古代より置かれた「古代律令三関」
の一つとなっている。

:古代律令制(大宝令701年制定)により、東国防御で設けられた三つの関所。
■:不破関(ふわのせき)・・・・・東山道(近江国〜陸奥国)
■:愛発関(あらちのせき)・・・・・北陸道
■:関宿(せきしゅく)・・・・・東海道



“関の山”の語源
これ以上は無理と言う“関の山”と言われる語源は、狭い関宿の街道筋を祭の山車が町屋の軒先をギリギリに巡行する様子を表したものと言われる。


木崎の町並
関駅を北に進むと、「関宿」街道筋の中央に出る。 先ずは東に木崎の町並を抜け関宿の東の入口「東の追分」に向かう。















東の追分

関宿の東の出入口で、また東海道から「伊勢別街道」への分岐点でもある。 鳥居をくぐると「伊勢別街道」となる。


「東の追分」の現地説明板



関宿の東端である「東の追分」から
西端「西の追分」までの1.8kmの関
の古い町並を訪ねる




休泊はせや伊三郎
江戸時代の旅籠で、現在は資料館


 






忍び返しのある町屋
二軒続きの町屋で、その二階の両端には忍び返しが取り付けられている。












「笑門」の注連縄
玄関には「笑門」と書かれた木札のある注連縄が、この辺りでは注連縄は一年中 飾られている。 “蘇民将来子孫家門”が後に“将門”と略され、更に平将門の乱後に“笑門”となった。 平将門の乱:平将門と藤原玄明が朝廷に反旗を翻した












浅原家(米屋・材木屋)
屋号を「江戸屋」と称し、米屋・材木屋を営む。 “ばったり”は手前に倒すことにより商品を並べたり・床几として使われる。















大井家(医家)
代々「玄庵」と名乗る医家、明治以降は西洋医学を学び、種痘医・眼科・産科・内科医として地域医療に貢献してきた。












開雲楼(雲林院家)
かつては、隣の松鶴楼と共に芸妓置店で、二階の格子窓や手摺にその面影を残す。











関神社

境内入口鳥居
街道筋から200mほど外れた所に鎮座する。 関氏の祖である実忠により紀伊 熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)の分霊を勧請したのが始めとされる。 「関の山」の語源となった山車がある。



拝殿


本殿


絵馬



山車庫

参道の両側にある山車庫(1)


参道の両側にある山車庫(2)



弘善寺

山門


本堂


「弘善禅寺」本堂扁額



御馳走場
(ごちそうば)


大名行列を宿役人が出迎えたり、見送った場所。



百五銀行
三重県津市に本店を置き、三重県とその周辺を営業エリアとする銀行、建物は宿場町景観に合わせた外観となっている。











山石(岩間家)
幕末に建てられた料亭で、今は喫茶・食堂を営業している、屋根の片隅には漆喰彫刻の唐獅子の置物が取り付けられている。











虎の飾瓦の町屋
屋根には虎の細工瓦が取り付けられ、軒下には昔の自転車が置かれている。













延命寺

山門
この山門は関宿にあった2つの本陣の内、川北本陣の薬医門を移設したもの。



山門に付けられた紋


本堂



中町の町並








中国風窓の町屋











桶重(桶屋)
明治15年創業の桶屋、今も三代目が桶を作っているとのこと。 屋根瓦には器(うつわ)を作る桶屋に因み「器」の字が入っている。




















瑞光寺

山門


山門扉


本堂
本堂前の右側の柿(権現柿)は徳川家康が関宿を通った時に賞味したと言われる。



客殿


鐘楼


権現柿


稲荷社の石造物



岩田商店(総菜・弁当店)
おむすび自然薯入りのはんぺんで包んだ「福天むすび」が知られる。











鶴屋脇本陣(波多野家)
脇本陣は本陣に次ぐ宿で身分の高い人が泊ったとされる、正面玄関屋根には千鳥破風を乗せ、軒下には細かな彫刻を施した造りとなっている。


















関まちなみ資料館
関宿の伝統的な町家が公開されている。 玄関先には「ばったり」がある。











電気店
今は無くなった「松下電工」の看板が掛けられている。








山車庫

中町三番町山車



百六里庭(眺関亭)
関宿が江戸から百六里あることから名付けられた。 建物(眺関亭)に造られた展望台からは街道筋を見下ろすことが出来る。









眺関亭から望む
中町の町並み






奥に見える大屋根は地蔵院



伊藤本陣跡(松井家)
本陣は大名や公家が公家が泊る格式ある宿で、関宿には川北本陣とここ伊藤本陣の2ヶ所ある。 今も残る建物は本陣の店部分とのこと、現在は電気工事業が営まれている様である。

















浄安寺

山門


本堂



起り屋根の町家(橋爪家)
両替商を営み、大坂の鴻池家と並び称されるほどの豪商であったとされる。 三角形の丸みをおびた起り屋根(むくりやね)が街道筋に面しており関宿には珍しい町家とのこと。











旅人宿(石垣家)














旅籠 玉屋(歴史資料館)
資料館として往時の道具が展示されている。 二階の漆喰の宝珠窓が目を引く。

















新聞販売所
屋根には福の神「恵比須・大国」の飾瓦が置かれている。














深川屋 菓子舗(服部家)
代々菓子司を務め、初代が考案した餅菓子「関の戸」は関宿の銘菓として知られる。 二階に揚げた庵看板(いおりかんばん 屋根看板)は古き時代を表す物として貴重な物である。








 





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