堺・阿倍野・西成

日本一低い“一等三角点”

【地下鉄 岸里駅】→天神ノ森天満宮→阿倍野神社→【阪堺線 天神ノ森駅】===【阪堺線 船尾駅】→南海 諏訪ノ森駅舎→【南海 諏訪ノ森駅】===【南海 堺駅】→神明神社→大浜公園(蘇鉄山)→【阪堺線 宿院駅】

2013年08月10日 快晴 18,104歩



スーパー玉出 岸里店

派手な看板でお馴染みの“スーパー玉出”



天神ノ森天満宮
 
境内入口鳥居と「紹鴎森天満宮」社号標石
正式な社号は「天満宮」であるが、「天下茶屋天満宮」・「子安天満宮」・「紹鴎森天満宮」とも呼ばれ親しまれている。 “「紹鴎森”の由来は、かつて堺の豪商「武野紹鴎(じょうおう)」がこの地に隠棲し茶室を建てたことによる。 〔大阪市西成区岸里東



拝殿


絵馬殿


絵馬殿内の絵馬


絵馬


撫で牛


境内摂社
天照皇大神・猿田彦命・倉稲塊大神



子安石
「誕生石」・「産石」等とも呼ばれ、安産に霊験あらたかと言われる。 豊臣秀吉も淀君懐妊に際し祈願したとのこと。



天下茶屋仇討ち供養塔
慶長14年(1609年)に備前の住人 林重次郎・源次郎の兄弟が、この地で父の仇である当麻三郎衛門を討とうとしたが、兄は返り討ちに逢うが、弟 源次郎は仇討ちを果たしたと言われる。




天下茶屋跡」碑

この地はかつては「天神の森」と呼ばれ、木々が茂っていたが、良い湧水が湧き出していた。 千利休の師で堺の豪商「武野紹鴎(じょうおう)」がこの地に隠棲し茶屋を建てたと言われ紹鴎の森”と呼ばれるようになった。 後に関白 豊臣秀吉が立寄り利休にお茶を点てさせたことから「殿下茶屋」・「天下茶屋」と言われるようになったとのこと。(後ろには天神ノ森天満宮の鳥居が見える)



阪堺電車 阪堺線

阪堺電車(阪堺電気軌道)





阿部野神社

西入口鳥居
祭神としては北畠親房・顕家(あきいえ)親子が祀られている。 北畠親房は鎌倉時代後期から南北朝時代の公家で、後醍醐天皇に仕えた「後の三房(のちのさんぼう)※」の一人として知られる。 神社の鎮座するこの地は顕家が足利軍と戦った所と言われる。 〔大阪市阿倍野区北畠〕
※:他の二人は吉田定房・万里小路宣房



西入口鳥居 阿吽の狛馬


南入口鳥居


拝殿


本殿


奥宮











北畠親房
北畠親房は南朝 正平9年・北朝 文和3年(1354年)に奈良県五條市 賀名生き(あのお)の地で亡くなり、賀名生に墓がある、また室生寺境内にも墓がある。



拝殿前に植えられた稲
5月22日の春季大祭の時に参拝者が植えたとのこと、今は穂先に実を付け始めているようである。



絵馬(1)


絵馬(2)


「生田花朝女(かちょうじょ)」碑
明治22年に天王寺に生まれ、大阪をこよなく愛した画家。 また、父親の生田南水の影響もあり多くの俳句も残している。


飯蛸や 春の景色は 淡路より
         生田花朝女

 
「征露戦役祈念碑 海軍大将東郷平八郎」碑(左)
北畠親房像(右)
日露戦争では、ここ天王寺村からも多くの出征兵士を出したと言われ、東郷平八郎の揮毫による祈念碑が建てられている。



旗上芸能稲荷社


稲荷社 絵馬



阪堺電車で【阪堺線 天神ノ森駅】
から【阪堺線 船尾駅】に移動




阪堺電車 阪堺線
(阪堺電気軌道)























南海 諏訪ノ森駅

南海本線の堺駅から和歌山方面に3つ目の駅で、駅舎は登録有形文化財に指定されている。 駅舎は明治40年(1907年)に「北浜寺駅」として開設、翌年に「諏訪ノ森駅」に改称。





駅舎入口上のステンドグラス窓
ステンドグラスには松原越しに見える淡路島が描かれている。



駅舎側面(線路側)の窓


駅舎側面の窓とベンチ


ホームへの通路屋根


ホームと長いベンチ


駅舎と南海電車


下り和歌山方面行きの駅舎



南海電車で【諏訪ノ森駅】
から【堺駅】に移動




神明神社
(しんめいじんじゃ)


境内入口鳥居
当初は「旭神社」と呼ばれていたが、天保12年(1841年)に堺奉行の水野若狭守によって天照大御神・豊受け大御神を合祀し「神明社」としたとのこと。 現在は「堺のお伊勢さん」として親しまれている。 神社には日本一低い一等三角点がある蘇鉄山(標高6.85m)の山岳会が置かれており、「蘇鉄山登山認定書」を公布している。 因みに、日本で一番低い山は大阪市港区にある二等三角点の「天保山」で標高は4.53mとなっている。 〔堺市堺区栄橋町〕



拝殿


蘇鉄山登山認定書



大浜公園

〔堺市西区浜寺公園町〕



樺太犬慰霊像

南極観測隊第一次越冬隊(昭和32年〜33年)で活躍した樺太犬像、帰還する越冬隊員に向かって吠えている姿を表現しているとのこと。





猿の飼育舎




擁護璽(ようごじ)

嘉永7年(1854年)の東南海地震(安政東海地震 M8.4)と翌日の南海地震(安政南海地震 M8.4)に伴う津波によってここ堺でも大きな被害を受けた。 この津波により大坂では2000人に及ぶ死者が出たと言われる。 石碑の裏には、津波の状況や恐ろしさ、また命が救われたことに感謝し、今後の安全を神明神社などに祈願したことが刻まれている。

 
「擁護璽」碑



ラジオ塔

ラジオ塔(正面)
ラジオ塔はラジオの普及を目的とした建てられたもので、正式名称は「公衆用聴取施設」とのこと。 (1933年)の建設



ラジオ塔(裏面)
中にはラジオの機材が置かれていた。




蘇鉄山
(日本一低い一等三角点)


蘇鉄山登山口
大阪湾に面したこの地には黒船来襲に備えてお台場(砲台)が築かれた。 その後は大浜公園の築山として整備され、東南300mにあった御蔭山が削られた際に一等三角点が蘇鉄山に移設された。 現在は日本一低い一等三角点として知られる。



蘇鉄山々頂(標高6.85m)
山頂にはその名の通り、蘇鉄が植えられている。



山頂の一等三角点



砲台跡
 
砲台跡(左)と「堺 南台場」碑(右)



阪堺電車で【阪堺線 宿院駅】
から【上町線 天王寺駅】に移動








大和川橋梁











正面にあべのハルカスがそびえる






inserted by FC2 system