京都
(その2 寺社巡り))


花傘巡行→寺社巡り

(その1 祇園祭)→安養寺→将軍塚 大日堂→六所神社→遍照墓→元慶寺→華山寺→粟田口 大名号碑日ノ岡宝塔→京津国道改良工事碑→車石道【阪急 河原町駅】

2013年07月24日 曇/晴 23,348歩



祇園枝垂桜

昭和24年(1949年)に植えられた二代目の枝垂桜



安養寺

山門
都の鎮護を目的に桓武天皇の勅命により、延暦年間(782年〜806年)に伝教大師 最澄によって創建されたのが始めとされる。 称名念仏発祥の地「吉水草庵」としても知られ、法然・親鸞もここを拠点に称名念仏を広めたと言われる。 近くにある「円山公園」の名称は安養寺の山号である「慈円山」に因んだものとのこと。 〔京都市東山区八坂鳥居前東入ル円山町〕



本堂


聖天堂


大日如来石仏


境内全景(将軍塚への登山口にて)




将軍塚への登山道


石仏群



将軍塚 大日堂

山門
大日堂は青蓮院の飛地境内で200m余りの東山の山頂付近にある。 〔京都市山科区厨子奥花鳥町〕




大日堂
将軍塚は甲冑を着けた将軍像を埋めた、直径10m、高さ2.4mの円形の塚で、大日堂の庭園の中にある。 現在は大護摩堂の建立工事のため塚を見ることは出来ない。



石仏


将軍塚からの展望
京都の市街地が一望できる。





東山を南へ山科六所神社への道





六所神社への下山道



六所神社

境内入口鳥居と御神水井
創建当初は元はこの地にあった遍照僧正
の創建による「元慶寺」の鎮守社であったが現在は北花山の氏神として信仰を集めている。 境内入口鳥居前には「御神水井」の古い井戸跡がある。 〔京都市山科区北花山大峰町〕
:桓武天皇の孫で三十六歌仙の一人


御神水井跡


拝殿


本殿



遍照墓(へんじょうはか)

遍照墓 全景
遍照僧正は、先に訪ねた鎮守社六所神社にあった元「元慶寺」を創建、「花山僧正」とも呼ばれた。 現在の元慶寺は、ここから東北に500m程の所にあるので、この後に訪ねてみる。 〔京都市山科区北花山中道町〕


 
「桓武天皇 皇孫 遍昭僧正御墓」碑(左)
遍照墓正面(右)




元慶寺(がんけいじ)

山門(龍宮門)
貞観10年(868年)遍昭僧正創建の寺で、第65代 花山天皇(かざんてんのう)はこの寺で出家して花山法皇(花山院)となったと言われる。 〔京都市山科区北花山河原町〕



山門内に貼られた千社札(1)


山門内に貼られた千社札(2)


本堂


本堂扁額

 
「人皇六拾五代 花山院法皇 御落飾道場」碑(左)。 勅願寺であり花山法皇のゆかりの寺でもあるため「菊花紋」が付けられている(右)


毘沙門堂


石塔



華山寺
 
山門(左)
「華山寺」寺号標石(右)
〔京都市山科区北花山河原町〕


本堂


山門と鐘楼


花山院之墓
「花山天皇陵」は「紙屋川上陵」(京都市北区衣笠)に治定されているが?



境内の樹齢200年のケヤキ



粟田口 大名号碑
(木食正禅養阿上人遺跡)

江戸中期に木食正禅養阿上人(1687年〜1763年)によって建てられた。 上人は京都に十一個所あった墓地を念仏回向(えこう)に周り、それぞれに名号碑を建てたと言われる。 何れの墓地にも近くに刑場があり無縁仏が埋葬されていた。 かつては粟田口刑場に建てられていたが、明治始めの廃仏毀釈によって破壊されたが、ここ日ノ岡峠に下半分が補修され再建された。 〔京都市山科区日ノ岡朝田町〕

 
裏面には「京津国道工事二於ケル犠牲者ノ為ニ」と刻まれている。 現存する上半分も三分割され道路の溝蓋などにしようされていたとのこと。



日ノ岡宝塔

大名号碑の北側にあり、大きな石碑と日蓮上人像が建っている。 平安時代から明治の初めまでに粟田口刑場で処刑された15,000人の罪人を弔うために15基の供養塔が建てられていたが、神仏分離令による廃仏毀釈により廃棄された。 しかし昭和15年(1940年)になって「法華倶楽部」の創始者 小島愛之助氏によってこの宝塔が建てられたとのこと。


日ノ岡宝塔(左) 日蓮像(右)



「京津国道改良工事」碑

大津・京都間を結ぶ国道で難所となっていた日ノ岡と逢坂山の峠を掘り削って勾配を緩やかにしスムーズに通行できる様にしたとのこと。


祈念碑の基壇には、かつてこの峠越えの難所に設置されていた「車石」が使用されている。



車石道(車石広場)

再現された車石道(牛車道)と牛車。 溝を掘り込んだ石をレール状に敷き込み、牛車の通行を容易にしたとされる、右上は三条通。


車石
これで道がぬかるんで、牛車の車輪が泥に取られ動かなくなることが防げた。



牛車の車輪



逢坂山峠の車石

三条通の逢坂山峠付近には保存を目的に車石で築かれた石垣が造られている。


「旧舗石 車石」


車石


車石の交差部か?


「・・王護・・」の文字が刻まれているが、「教王護国寺(東寺)」のことか?




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